2007/08/17 ●赤兎馬→幻の焼酎??

●赤兎馬 → せきとば 焼酎の名前です!!

幻の焼酎??でもない?? >

今回、お土産に親戚から頂いた貴重なお酒??

よだれを誘う(!?)香りですね!ワクワクして飲んでみると・・・ 『するっ』となめらかな喉ごしでスッキリ飲みやすかったです
赤兎馬って名前だけ見るとワイルドな味を想像するのですが、なんのなんの、とっても上品♪大切に、大切に飲んでます。

●しかし なんという味でしょうか?(びっくりさせたなら すいません) 早速 赤兎馬の封を切って ロックで一口 うっ 旨い旨すぎる!これなら ロックグラス 一杯 800円は取られるでと言うくらいの味でした。知り合いの居酒屋に営業をしたいくらいの感動でした。赤兎馬といのを私自身知りませんで、、、

● “良い酒は水に似る”という言葉がありますが… 本当に山から湧き出る名水のような。。。 透明な柔らかい水の感覚の中に芋の甘みと香りがあって…(^^) すぅ~っといくらでも入ってしまう感じです。   (ヤバイ。。。大事に飲まなければ。。。)

赤兎馬 概要
『三国志』「呂布伝」によると、呂布が袁紹の元にいたころ、彼に頼まれて張燕を攻撃した。
呂布はいつも赤兎という良馬に乗って敵陣に突進し、ついに張燕を打ち破ったという。
また、注に引かれた『曹瞞伝』によると、呂布の剛勇ぶりから「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞されたという。
赤兎馬が登場するのはこの一文だけだが、正史にその名を留めたのであるから余程の名馬だったのだろうと推測される。

『三国志演義』によると稀代の名馬で一日に千里(中国の後漢の時代では1里414.72m(300歩)で計算すると414.72kmになるがここでは当然のことながら長距離であることをたとえたもの)を駆けることができた。
はじめ董卓が持っていたが、呂布とその養父の丁原を離間させるために李粛の策で呂布に贈られた。
呂布はその見返りに丁原を殺し董卓に仕えたが、赤兎馬は後に呂布を討った曹操の手に移る。

しかし赤兎馬は気性が荒く誰にも乗りこなせずにいた。あるとき関羽に心酔した曹操は「君なら乗りこなせるだろう」と赤兎馬を関羽に与えたところ、彼は見事にそれを乗りこなす。

さらに、それまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしたので、曹操はその理由を尋ねた。

関羽は「この馬ならどんなに遠くとも兄者の居所が分かればすぐに飛んでいくことができるでしょう」と答えたため、曹操は改めてその忠義ぶりを思い知った一方、後悔したともいう。

後に関羽が処刑された後、呉の馬忠に与えられたが、馬草を食わなくなって死んだという。また、南蛮の孟獲、祝融も赤兎馬に乗っていたという話がある。

蛇足だが『水滸伝』では関羽の子孫という設定の(により一族全てを虐殺させられた、という話が本当であれば関姓はこの時代には存在しない。)関勝も関羽のように赤兎馬に乗って戦場に出陣する話がる。

最初の登場から死まで20年以上に渡り現役で走り続けている。馬は場合により40年以上生きることもあるがこれほどまで長きに渡って戦場で活躍できるかというと不可能ではないが難しい。

とにかく、赤兎という名馬が存在したことは確かなようで、この赤兎を関羽に結びつけ、複数の名馬のことが赤兎馬に仮託して伝えられたとも考えられる。
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